お釈迦様の手のひら

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重久さんは、屋久島でのトビウオ漁を語る際重要な人物だ。昭和40年代に入ると、沿岸に産卵するトビウオを獲る時期トビ漁は廃れ、屋久島でのトビウオ漁は転機を迎えた。そんな苦境を救ったのは、重久さんのお父さん、おじさんら与論島出身者であった。彼らは故郷与論でのサバニという小型船での漁の経験を活かし、沖合を回流する沖トビを「ロープ挽き漁法」で獲る技術を開発した。

その後安房港は単独の港としてトビウオ漁獲日本一という栄誉に輝き、安房のトビウオは一湊の「首折れサバ」と並んで屋久島を代表する魚となった。

しかし、そのトビウオも最近あまり獲れなくなった。その原因はいろいろ考えられるが、重久さんは沿岸での立て網漁を始めた。また、瀬渡し業も日常的に行なっている。幽霊船を思わせる船体の艤装は瀬渡し業のために考案したもの。(なお、現代の屋久島の漁師の 代表的な仕事は、春先のモジャコ漁である。)

 

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